※食文化のとしての和食(中編)から続く
前回は枠組みとしての
和食のすばらしさについて述べてきました。
しかし当然ながら大事なのは何を食べるかです。
そして日本が現代に至るまで
十分に栄養バランスの取れた食生活を
行ってきたかといえば決してそうではありません。
戦中戦後は栄養不足の時代でした。
塩味の強さで大量のご飯を食べてカロリーを
確保したり、そもそも十分に食べる事ができ
なかったりということはありました。
日本人の食生活が改善し始めたのは1955年以降です。
いわゆる高度経済成長に伴い、
たんぱく質や脂肪分の摂取量が増加したのです。
栄養価の高い食材が多く供給されたことにより、
栄養不足が一気に解消したといわれています。
そして大変重要なことは一汁三菜の
和食のフォーマットが守られたことです。
しかし残念ながら、
現代ではそれが破られています。
一体どのような変遷を辿ったのでしょうか。
※食文化のとしての和食(中編)から続く
前回は枠組みとしての和食のすばらしさについて述べてきました。しかし、当然ながら大事なのは何を食べるかです。そして日本が現代に至るまで十分に栄養バランスの取れた食生活を行ってきたかといえば決してそうではありません。
戦中戦後は栄養不足の時代でした。塩味の強さで大量のご飯を食べてカロリーを確保したり、そもそも十分に食べる事ができなかったりということはありました。
日本人の食生活が改善し始めたのは1955年以降です。いわゆる高度経済成長に伴い、たんぱく質や脂肪分の摂取量が増加したのです。栄養価の高い食材が多く供給されたことにより、栄養不足が一気に解消したといわれています。
そして大変重要なことは一汁三菜の和食のフォーマットが守られたことです。
しかし残念ながら、現代ではそれが破られています。
一体どのような変遷を辿ったのでしょうか。
日本の食生活の特質は、自然の恵みの多彩な食材
戦後の急速な経済成長の中で
食生活も豊かになった結果、
1980年代の日本の食文化は
カロリーバランスの上では理想とされ、
その日本型食生活は、国内でも
プライドを持って推奨されていたのです。
そして実はこの時代、自給率は高く、
ことに鮮魚や野菜に関してはほぼ100%でした。
現在の食料自給率からは中々想像しづらい
理想的実態がかつての日本にはあったのです。
なぜでしょうか。
冷静に我が国を見渡せば、
本当は簡単な話なのかもしれません。
日本列島は南北に長く、魚介類の宝庫です。
山野から生まれる自然の恵みも多種多様です。
「食文化としての和食(前編)
※https://syouei-farm.net/anzen/191126/」
にも記したとおり、食文化の本質には、
「その地域の自然環境に最も合致したもの」
という要素が必要不可欠です。
つまり和食という日本の食生活の特質は、
日本の自然の恵みといわれる
多彩な食材によって支えられています。
もし言葉を集約するのであれば、
和食の本質は「自然の尊重」
ということかもしれません。
ここまでお読みいただいた方は
すでにお気付きと思いますが、
和食のすばらしさはフォーマットの話など
ではないということです。
日本の食生活の特質は、自然の恵みの多彩な食材
戦後の急速な経済成長の中で食生活も豊かになった結果、1980年代の日本の食文化はカロリーバランスの上では理想とされ、その日本型食生活は、国内でもプライドを持って推奨されていたのです。
そして実はこの時代、自給率は高く、ことに鮮魚や野菜に関してはほぼ100%でした。現在の食料自給率からは中々想像しづらい、理想的実態がかつての日本にはあったのです。
なぜでしょうか。
冷静に我が国を見渡せば、本当は簡単な話なのかもしれません。日本列島は南北に長く、魚介類の宝庫です。山野から生まれる自然の恵みも多種多様です。
「食文化としての和食(前編)※https://syouei-farm.net/anzen/191126/」
にも記したとおり、食文化の本質には、「その地域の自然環境に最も合致したもの」という要素が必要不可欠です。
つまり和食という日本の食生活の特質は、日本の自然の恵みといわれる多彩な食材によって支えられています。
もし言葉を集約するのであれば、和食の本質は「自然の尊重」ということかもしれません。
ここまでお読みいただいた方はすでにお気付きと思いますが、和食のすばらしさはフォーマットの話などではないということです。
社会に注目され始めた伝統野菜
さて、和食の食材といえば狭義では、
米中心の穀類、野菜、魚介類と海草が主なものです。
しかし同じ食材だとしても食べ方については
和食特有の傾向があります。
例えば和食の括りの中では
野菜は生では食べません。
したがって野菜サラダは
和食の枠の外におかれているようです。
対して鮮魚は、
生食が和食の代表的な特徴の一つです。
ただし本来、生食は海岸の住人がほとんどで、
それ以外の地域の居住者は
煮魚、焼き魚が主菜でした。
日本人全体が鮮魚を生食できるようになったのは、
物流網とコールドチェーンの発達に他なりません。
また同時にこれにより、
日本人は海外からの輸入魚を
多く口にするようにもなりました。
マグロに至っては、実はほぼ全てが
海外の海で採れたものなのです。
野菜はどうでしょうか。
実は消費量だけを見ると大きな変化はありませんが、
品目によってはその限りではありません。
代表的品目は大根です。
1980年代と2008年の比較では
なんと30%も減少しています。
原因は家庭における漬物生産の減少です。
これは一例に過ぎませんが
このように和食作りの外注化が進行し、
家庭料理としての和食が崩れていったのです。
しかし最近、野菜については
誇らしい動きも見られるようになっています。
社会が伝統野菜に注目し始めたことです。
もちろん京都における京野菜のブランド化の
成功に起因するところが大きいのですが、
江戸東京野菜やその他日本全国各地には、
現在でも特徴のある野菜は
数多く残されているのです。
これらの地域の自然環境に最も合致した
日本伝統野菜を用いた食文化としての
和食の復活を私は願ってやみません。
(「食文化としての和食」終わり)
社会に注目され始めた伝統野菜
さて、和食の食材といえば狭義では、米中心の穀類、野菜、魚介類と海草が主なものです。しかし同じ食材だとしても食べ方については和食特有の傾向があります。
例えば和食の括りの中では野菜は生では食べません。したがって野菜サラダは和食の枠の外におかれているようです。
対して鮮魚は、生食が和食の代表的な特徴の一つです。
ただし本来、生食は海岸の住人がほとんどで、それ以外の地域の居住者は煮魚、焼き魚が主菜でした。
日本人全体が鮮魚を生食できるようになったのは、物流網とコールドチェーンの発達に他なりません。また同時にこれにより、日本人は海外からの輸入魚を多く口にするようにもなりました。マグロに至っては、実はほぼ全てが海外の海で採れたものなのです。
野菜はどうでしょうか。
実は消費量だけを見ると大きな変化はありませんが、品目によってはその限りではありません。
代表的品目は大根です。1980年代と2008年の比較では、なんと30%も減少しています。原因は家庭における漬物生産の減少です。
これは一例に過ぎませんが、このように和食作りの外注化が進行し、家庭料理としての和食が崩れていったのです。
しかし最近、野菜については、誇らしい動きも見られるようになっています。
社会が伝統野菜に注目し始めたことです。
もちろん京都における京野菜のブランド化の成功に起因するところが大きいのですが、江戸東京野菜やその他日本全国各地には、現在でも特徴のある野菜は数多く残されているのです。
これらの地域の自然環境に最も合致した日本伝統野菜を用いた食文化としての和食の復活を、私は願ってやみません。
(「食文化としての和食」終わり)
参考文献:日本の伝統的食文化としての和食
http://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/culture/wasyoku.html