前回のコラムでは「オーガニック野菜」と
「栽培期間中、農薬・化学肥料不使用の野菜
(※便宜上、“無農薬”)」の違いについて
簡潔に説明してみました。
今回は「自然栽培」や「自然農法」とは何ですか?
という点にスポットを当てたいと思います。
「除草」と「耕作」
そもそも「自然栽培」と「自然農法」は
表記の違いだけで実は同じものなのでしょうか?
人間社会は理屈を作り
何かを定義づけることに慣れ親しんでいます。
別に皮肉を言っているわけではありません。
言葉が違う以上、その意味することは
大なり小なり違うものです。
したがって先ほどの問いについても
説明上は両者違うもの、というのが正解です。
ただし、有機JASのように
組織や権威により認定されるような、
あるいは厳密に定義づけされているのではなく、
一般的且つ客観的な違いが
存在するに他なりません。
そして、「自然栽培」と「自然農法」の違いは、
『草を生やすか、生やさないか』
『土を耕すか、耕さないか』
などといったところです。
「草を生やす」すなわち「除草しない」、
さらに「土を耕さない」のが「自然農法」。
「草を生やさない」すなわち「除草する」、
そして「土を耕す」のが「自然栽培」
ということになります
(ただし繰り返しになりますが、
一般的にそう言われているという
時代認識に基づいています)。
言うまでもないことですが、
両者ともに栽培期間中、農薬・化学肥料は不使用です。
また、自然由来の有機農薬や堆肥も一切使用しない、
いわゆる「無施肥」です。
プラスして、自らの目で自然を観て、
作物の声を聞き、五感や肌で自然を感じる、
という感性と、どちらも自然を尊重し、
自然と調和した農を目指す、
という姿勢において目的は同じ
と言えるのではないでしょうか。
説明が長くなりすぎましたので
簡潔にまとめます。
「農薬・化学肥料不使用」「無施肥」は「自然栽培」。
これに追加して「不除草」「不耕起」の
圃場は「自然農法」と言えそうです。
自然の力を引き出す農法
ここから先は両者の最大公約数である
「自然栽培」について考察していきます。
本来、植物は
農薬や肥料がなくとも成長するものです。
これは元々、太陽と水、
自然界にある酸素や窒素、
何億もの微生物など、
自然界のあらゆるものを活用しながら、
植物が生態系の中で
自ら栄養を作り出しているからです。
ある自然栽培のメソッドでは、
作物が病害虫による影響を受けるのは、
土の中の栄養分が高く
作物自体が弱っているためと考えます。
土が自然な状態であれば、作物は強く育ち、
さらに農薬や肥料の必要性がなくなる
と考えられているからだそうです。
つまり、「自然栽培」は
自然の力を引き出す農法ということです。
「奇跡のりんご」でお馴染みの
木村秋則氏の教えに倣う「NPO法人
岡山県木村式自然栽培実行委員会」の
HP( https://www.oka-kimurashiki.jp/)に
非常に興味深い「自然栽培」に対する
独自見解がありましたので
一部引用、抜粋させていただきます。
~引用、抜粋開始~
「人の手の入らないまったくの自然状態で放置された山は荒廃し、生物多様性はかえって低下しています。それよりもある程度人の手入れが入った里山や雑木林の方が、じつは生態系が豊かに循環しています。」
「“自然”という無為の世界と、“栽培”という有為(人為)の世界、この相反する両極のせめぎ合いをどうバランスするか… ここに「自然栽培」の視点があります。そのバランス感覚は、たずさわる人のさじ加減一つにかかっています。」
「『自然栽培』はこのようなたくましく自生する植物に倣い、自然界に元々備わっている摂理を生かすし、生態系を壊さないために、土壌や作物に人為的な手をできるだけ加えないようにしています。」
「圃場が長い時間をかけて、より近く自然に寄り添い、対峙関係から調和関係へと融和されていく…わたしたちはそのような姿を『自然栽培』と呼んでいいのではないかと考えています。『自然栽培』はまぎれもなく、私たちが忘れかけていた自然回帰による人間を含めた生き物たちの営みなのです。」
~引用、抜粋終了~
私たち人間が生物多様性の一員として
「自然栽培」の中に組み込まれている
ということに気が付かせられる見事な説明に
ただただ感嘆するのみであります。
もし興味があれば当該HP
( https://www.oka-kimurashiki.jp/)や
木村秋則氏の著作等を
ご覧になってはいかがでしょうか。
前回のコラムでは「オーガニック野菜」と「栽培期間中、農薬・化学肥料不使用の野菜(※便宜上、“無農薬”)」の違いについて簡潔に説明してみました。
今回は「自然栽培」や「自然農法」とは何ですか? という点にスポットを当てたいと思います。
「除草」と「耕作」
そもそも「自然栽培」と「自然農法」は表記の違いだけで実は同じものなのでしょうか?
人間社会は理屈を作り何かを定義づけることに慣れ親しんでいます。別に皮肉を言っているわけではありません。言葉が違う以上、その意味することは大なり小なり違うものです。したがって先ほどの問いについても説明上は両者違うもの、というのが正解です。
ただし、有機JASのように組織や権威により認定されるような、あるいは厳密に定義づけされているのではなく、一般的且つ客観的な違いが存在するに他なりません。
そして、「自然栽培」と「自然農法」の違いは、『草を生やすか、生やさないか』『土を耕すか、耕さないか』などといったところです。
「草を生やす」すなわち「除草しない」、さらに「土を耕さない」のが「自然農法」。「草を生やさない」すなわち「除草する」、そして「土を耕す」のが「自然栽培」ということになります(ただし繰り返しになりますが、一般的にそう言われているという時代認識に基づいています)。
言うまでもないことですが、両者ともに栽培期間中、農薬・化学肥料は不使用です。また、自然由来の有機農薬や堆肥も一切使用しない、いわゆる「無施肥」です。
プラスして、自らの目で自然を観て、作物の声を聞き、五感や肌で自然を感じる、という感性と、どちらも自然を尊重し、自然と調和した農を目指す、という姿勢において目的は同じと言えるのではないでしょうか。
説明が長くなりすぎましたので簡潔にまとめます。
「農薬・化学肥料不使用」「無施肥」は「自然栽培」。これに追加して「不除草」「不耕起」の圃場は「自然農法」と言えそうです。
自然の力を引き出す農法
ここから先は両者の最大公約数である「自然栽培」について考察していきます。
本来、植物は農薬や肥料がなくとも成長するものです。これは元々、太陽と水、自然界にある酸素や窒素、何億もの微生物など、自然界のあらゆるものを活用しながら、植物が生態系の中で自ら栄養を作り出しているからです。
ある自然栽培のメソッドでは、作物が病害虫による影響を受けるのは、土の中の栄養分が高く作物自体が弱っているためと考えます。土が自然な状態であれば、作物は強く育ち、さらに農薬や肥料の必要性がなくなると考えられているからだそうです。
つまり、「自然栽培」は自然の力を引き出す農法ということです。
「奇跡のりんご」でお馴染みの木村秋則氏の教えに倣う「NPO法人岡山県木村式自然栽培実行委員会」のHP( https://www.oka-kimurashiki.jp/)に非常に興味深い「自然栽培」に対する独自見解がありましたので一部引用、抜粋させていただきます。
~引用、抜粋開始~
「人の手の入らないまったくの自然状態で放置された山は荒廃し、生物多様性はかえって低下しています。それよりもある程度人の手入れが入った里山や雑木林の方が、じつは生態系が豊かに循環しています。」
「“自然”という無為の世界と、“栽培”という有為(人為)の世界、この相反する両極のせめぎ合いをどうバランスするか… ここに「自然栽培」の視点があります。そのバランス感覚は、たずさわる人のさじ加減一つにかかっています。」
「『自然栽培』はこのようなたくましく自生する植物に倣い、自然界に元々備わっている摂理を生かすし、生態系を壊さないために、土壌や作物に人為的な手をできるだけ加えないようにしています。」
「圃場が長い時間をかけて、より近く自然に寄り添い、対峙関係から調和関係へと融和されていく…わたしたちはそのような姿を『自然栽培』と呼んでいいのではないかと考えています。『自然栽培』はまぎれもなく、私たちが忘れかけていた自然回帰による人間を含めた生き物たちの営みなのです。」
~引用、抜粋終了~
私たち人間が生物多様性の一員として「自然栽培」の中に組み込まれているということに気が付かせられる見事な説明にただただ感嘆するのみであります。もし興味があれば当該HP( https://www.oka-kimurashiki.jp/)や木村秋則氏の著作等をご覧になってはいかがでしょうか。