「土」について詳しく語れる人はどの程度いるのでしょうか?
なぜこのような問い掛けをするかといいますと、
日本では欧米に比べて、
土壌教育(あるいは土についての授業)というものが、
1947年から2017年までの間に
著しく減少していったからに他なりません。
日本の学習指導要領でとりあげられた
「土」という言葉の登場回数は、小学校の理科と社会では、
1947年にそれぞれ51回と11回あったものが、
1968年には11回と0回、
そして2017年には2回と0回になりました。
つまり現在の小学校で「土」について学ぶ機会は
滅多にないということです。
なぜでしょうか?
その背景は、戦後の産業の発展に関係があると言われています。
特に高度経済成長を遂げた時代の
小学校の理科と社会の教科書においては、
科学の基礎、鉄鋼、機械など、
経済発展の象徴のような分野に重きが置かれ、
土や農業、林業などの内容が姿を消していきました。
純粋に全体の学習量の中での配分や
優先度合の問題であったかもしれませんし、
何か別の理由や、あるいは思惑のようなものが
あったのかもしれません。
いずれにせよ事実としてあるのは、
小学校生活の中に“土の大切さを学ぶ場”は
見当たらないということです。
それに対し世界の国々では
「土」について小学校から積極的に教えているようです。
■ 土は有限なものであり、貴重な資源である。
幻冬舎刊「Spectator 第47号【土のがっこう】」に、
土壌学者:福田直氏のインタビュー記事が掲載されています。
小見出しの「土は有限なものであり、貴重な資源である」とは、
福田氏による【土の11か条】の中の一つです。
全てが本質でありますが、上記以外で印象的に感じたものは、
「土は物質循環の要である」
「土は呼吸しており、生きている」
「土は人の手によってよい土になったり、悪い土や死んだ土になったりする」
です。
当コラムの冒頭箇所の問いかけである、
『「土」について詳しく語れる人はどの程度いるのでしょうか?』
の答えが、もしも『ほとんどいない』であったとすれば、
いまご紹介したばかりの、【土の11か条】に関する知識や
認識が私たちには全くないことの現れではないでしょうか。
そして事象の根底に潜む最大の問題は、
「土は有限なものであり、貴重な資源である」
という重要な事実を教えてこなかったという
日本の教育の在り方そのものなのかもしれません。
いま世界の土壌の約1/4で、
ひどい衰えが起こっていると言われています。
非常に大切な土である「表土」が失われているのです。
「表土」とは、栄養分に富むとても薄い層で、
最も有機物に富み、最も生物量が多い、生き生きした、
まさに「生きている土」のことです。
これが「土壌の浸食」によって
土壌から失われるにとどまらず、
結果「砂漠化」に繋がっているのです。
■ 国際食糧システムサミット
同誌、福田氏のインタビュー記事では、
「土壌の浸食」についてこのような説明がされています。
「土壌の浸食」とは、土に引き起こされる様々な現象のこと。森の木を切り落とすことや、強風による「風食」、暴風や洪水による「水食」などによって発生する。
更にこの「土壌の浸食」を分かりやすく
「イースター島の崩壊説」に沿って解説していたので
簡単にご紹介したいと思います。
■ 土の劣化と荒廃がもたらすもの
モアイ像で有名なイースター島は、
五世紀以前には鬱蒼としたヤシの森で
覆われていたことが近年明らかになったそうです。
最初に辿り着いたポリネシアの人々は、
海に近い森を切り拓いて畑を作り、
バナナやヤム芋を栽培する農業を営んでいました。
海と大地の豊かな恵みを受けて、
島の人口は当初の数十人から、
十六世紀には約九千人まで増加したといわれています。
この島の文明の絶滅は17世紀といわれていますので、
この僅か百年の間に何かが起こったということになります。
イースター島が崩壊した最も大きな理由は、
農業による土の衰え(劣化)であると考えられています。
山際に沿った畑の土は、
雨や風による浸食を受けやすいため、
今度はより高いところの森を切り拓いて新しい畑を作ります。
しかし同じ作物ばかりが繰り返し栽培され続けたため、
土の力が衰えてしまい、雑草も失われ
土がむき出しになってしまったのです。
そこに雨が降ると一気に表土もろとも持ち去らわれて
最終的には砂漠化していくのです。
そして更に森を切り拓いて同じことを繰り返します。
まさに負の連鎖です。
そしてついに十七世紀には森林を失ってしまいました。
(もともとモアイ像づくりに必要な石を運ぶ
“コロ”を作るために、大量の木材を使用しています)
この森林の徹底的な破壊が「土壌の浸食」を招き、
その結果、食料危機が発生、
そして文明社会そのものが崩壊したのです。
この破滅へのカウントダウンの第一段階が
「土の劣化と荒廃」であり、現代社会において
今も続いている深刻な問題というわけです。
■ “土”は地上生物の“生命のもと”
土は人類をはじめ地球上の多くの生物の
“生命のもと”になっています。
当たり前ですが、農作物や土なしに育つことはありません。
なぜならば、土は生き物の死骸の分解、
養分や水分の貯蔵など、生物多様性の維持に
重要な役割を担っているからです。
そしてこの土の中の主人公が、
莫大な数と種類の「微生物」と「細菌類」というわけです。
加えて、モグラやミミズ、センチュウなどの
「土壌動物」といった登場人物なのです。
先程、文明崩壊の第一段階を
「土の劣化と荒廃」とご説明したばかりです。
つまり土の劣化はこれらの登場人物の
活躍の場を奪ってしまうのです。
更に、今の時代においては、
イースター島の文明滅亡時とを比較した場合、
「農薬と化学肥料」という最強の破壊要因が
この土の劣化と荒廃を加速させ、土壌の浸食、
そしてその先の砂漠化へと到達する時間を短縮しているのです。
「土」について詳しく語れる人はどの程度いるのでしょうか?
なぜこのような問い掛けをするかといいますと、日本では欧米に比べて、土壌教育(あるいは土についての授業)というものが、1947年から2017年までの間に著しく減少していったからに他なりません。
日本の学習指導要領でとりあげられた「土」という言葉の登場回数は、小学校の理科と社会では、1947年にそれぞれ51回と11回あったものが、1968年には11回と0回、そして2017年には2回と0回になりました。つまり現在の小学校で「土」について学ぶ機会は滅多にないということです。
なぜでしょうか?
その背景は、戦後の産業の発展に関係があると言われています。
特に高度経済成長を遂げた時代の小学校の理科と社会の教科書においては、科学の基礎、鉄鋼、機械など、経済発展の象徴のような分野に重きが置かれ、土や農業、林業などの内容が姿を消していきました。純粋に全体の学習量の中での配分や優先度合の問題であったかもしれませんし、何か別の理由や、あるいは思惑のようなものがあったのかもしれません。いずれにせよ事実としてあるのは、小学校生活の中に“土の大切さを学ぶ場”は見当たらないということです。
それに対し世界の国々では「土」について小学校から積極的に教えているようです。
■ 土は有限なものであり、貴重な資源である。
幻冬舎刊「Spectator 第47号【土のがっこう】」に、土壌学者:福田直氏のインタビュー記事が掲載されています。小見出しの「土は有限なものであり、貴重な資源である」とは、福田氏による【土の11か条】の中の一つです。
全てが本質でありますが、上記以外で印象的に感じたものは、「土は物質循環の要である」「土は呼吸しており、生きている」「土は人の手によってよい土になったり、悪い土や死んだ土になったりする」です。
当コラムの冒頭箇所の問いかけである、『「土」について詳しく語れる人はどの程度いるのでしょうか?』の答えが、もしも『ほとんどいない』であったとすれば、いまご紹介したばかりの、【土の11か条】に関する知識や認識が私たちには全くないことの現れではないでしょうか。そして事象の根底に潜む最大の問題は、「土は有限なものであり、貴重な資源である」という重要な事実を教えてこなかったという日本の教育の在り方そのものなのかもしれません。
いま世界の土壌の約1/4で、ひどい衰えが起こっていると言われています。非常に大切な土である「表土」が失われているのです。「表土」とは、栄養分に富むとても薄い層で、最も有機物に富み、最も生物量が多い、生き生きした、まさに「生きている土」のことです。これが「土壌の浸食」によって土壌から失われるにとどまらず、結果「砂漠化」に繋がっているのです。
■ 国際食糧システムサミット
同誌、福田氏のインタビュー記事では、「土壌の浸食」についてこのような説明がされています。
「土壌の浸食」とは、土に引き起こされる様々な現象のこと。森の木を切り落とすことや、強風による「風食」、暴風や洪水による「水食」などによって発生する。
更にこの「土壌の浸食」を分かりやすく「イースター島の崩壊説」に沿って解説していたので簡単にご紹介したいと思います。
■ 土の劣化と荒廃がもたらすもの
モアイ像で有名なイースター島は、五世紀以前には鬱蒼としたヤシの森で覆われていたことが近年明らかになったそうです。最初に辿り着いたポリネシアの人々は、海に近い森を切り拓いて畑を作り、バナナやヤム芋を栽培する農業を営んでいました。海と大地の豊かな恵みを受けて、島の人口は当初の数十人から、十六世紀には約九千人まで増加したといわれています。この島の文明の絶滅は17世紀といわれていますので、この僅か百年の間に何かが起こったということになります。
イースター島が崩壊した最も大きな理由は、農業による土の衰え(劣化)であると考えられています。山際に沿った畑の土は、雨や風による浸食を受けやすいため、今度はより高いところの森を切り拓いて新しい畑を作ります。しかし同じ作物ばかりが繰り返し栽培され続けたため、土の力が衰えてしまい、雑草も失われ土がむき出しになってしまったのです。そこに雨が降ると一気に表土もろとも持ち去らわれて最終的には砂漠化していくのです。そして更に森を切り拓いて同じことを繰り返します。
まさに負の連鎖です。
そしてついに十七世紀には森林を失ってしまいました(もともとモアイ像づくりに必要な石を運ぶ“コロ”を作るために、大量の木材を使用しています)。この森林の徹底的な破壊が「土壌の浸食」を招き、その結果、食料危機が発生、そして文明社会そのものが崩壊したのです。
この破滅へのカウントダウンの第一段階が「土の劣化と荒廃」であり、現代社会において今も続いている深刻な問題というわけです。
■ “土”は地上生物の“生命のもと”
土は人類をはじめ地球上の多くの生物の“生命のもと”になっています。
当たり前ですが、農作物や土なしに育つことはありません。なぜならば、土は生き物の死骸の分解、養分や水分の貯蔵など、生物多様性の維持に重要な役割を担っているからです。そしてこの土の中の主人公が、莫大な数と種類の「微生物」と「細菌類」というわけです。加えて、モグラやミミズ、センチュウなどの「土壌動物」といった登場人物なのです。
先程、文明崩壊の第一段階を「土の劣化と荒廃」とご説明したばかりです。つまり土の劣化はこれらの登場人物の活躍の場を奪ってしまうのです。
更に、今の時代においては、イースター島の文明滅亡時とを比較した場合、「農薬と化学肥料」という最強の破壊要因がこの土の劣化と荒廃を加速させ、土壌の浸食、そしてその先の砂漠化へと到達する時間を短縮しているのです。
参照資料
幻冬舎刊「Spectator 第47号【土のがっこう】」(土壌学者・福田 直インタビュー)